きまぐれコラム⑫ “雇調金のやたろう”

 2026年も8月に入り、会計年度末の7月20日以降その実績に基づいた来年度予算や方針などを検討し9月の定期大会の準備として議案書作成が佳境になる8月連休前の多忙な時期、今年度を振り返ると様々な事があった。1万円をこえる改善額が3年目となった賃上げ実績もこれまでにない事だが、組合結成以来、新たな組合員の仲間のエリアとなる矢崎総業の方の組合員組織化が始まり、一歩ずつではあるが真の全矢崎となるべく歩みを進めている。そして私的には発災から2年半が経過しようと言う能登半島地震の被災地として輪島市・穴水町を5月末に訪問する機会を得たが、復興道半ばの現状にショックを受けたことが一番印象に残る出来事だと思っていた矢先の7月28日(火)、前回の被災から10年が経過した熊本で震度7の地震がふたたび発生した。現時点で38名の死者との事だが全容解明にはまだ時間がかかると思う。亡くなられた方に謹んで哀悼の意を表すと共に、被災された方々へお見舞いを申し上げたい。その時刻私は東京プリンスホテルにて「津田弥太郎さんを偲ぶ会」に参列をしている最中だった、今回はその「津田弥太郎元参議院議員」について少し触れたいと思う。

「津田弥太郎」さんは1952年岐阜県に生まれ、神奈川大学法学部を1976年に卒業後同年「全国金属産業労働組合同盟(全金同盟)」に入局、ゼンキン連合長野書記長などを経て1999年JAM結成時の副書記長を務めるなど、産業別労働組合役員を歴任後の2004年、第20回参議院議員通常選挙・比例区で初当選し、2016年に勇退するまで2期12年間参議院議員を務められた。その後2022年には旭日重光章を叙勲し、本年2026年4月6日にご逝去された。享年73歳での旅立ちだった。「津田弥太郎」さんの議員勇退の2016年には「藤川慎一」さんが、2019年は「田中久弥」さんが後任として挑戦するも共に落選という残念な結果となったが、昨年2025年7月に「郡山玲参議院議員」が9年ぶりの雪辱を果たし当選、先輩議員の意思を次いで現在活躍中である。

「津田弥太郎さんを偲ぶ会」では「連合芳野友子会長」「榛葉賀津也参議院議員」はじめ4名の方が弔辞を述べられ、お別れの言葉を紡いでいた。皆が口々に“雇調金のやたろう”と合言葉のように話されているのが印象的で、実際2008年9月15日に米国の投資銀行「リーマン・ブラザーズ」が経営破綻し、世界的な金融危機と深刻な大不況を引き起こしたリーマンショックによる影響で、日本国内でも東証株価指数は大暴落し1983年以来25年ぶりの安値を記録、民間企業では派遣切りや雇い止めが発生、企業収益が悪化しトヨタ自動車でさえも59年ぶりの赤字に転落、資金調達が困難になった企業が増加し、倒産の危機をむかえる中、「津田弥太郎」さんは、国会で「雇用調整助成金(雇調金)」の受給条件緩和に取組み、それによって多くの企業で雇調金を活用した一時帰休が行われ、倒産を救い77万人の失業者発生を抑制したと伝えられており、まさしくこれが“雇調金のやたろう”と言われるゆえんである。

当時、島田支部執行委員長になりたての私も、準社員組合員さんから罷業資金(ひぎょうしきん)の取り崩し払い戻しの相談を複数件受けた事、一斉有休・稼働日入れ合えを支部労使にて対応、最終的に一時帰休(休業)を本部台労使全体で休業協定を結び実施した事も記憶に新しい(実際には17~18年昔の話だが!笑)その際、島田製作所での雇調金申請を目の当たりにしている。時を経て、国会議員の存在とその活動の有り難さを改めて実感した。もしその働きかけがなかったと考えると身がすくむ思いであり、その重要性を伝えていかなくてはならないという使命感に気持ちを新たにした偲ぶ会であった。「津田弥太郎」さんに哀悼の誠を捧げる!

中央執行委員長 片山勝彦

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